○商務漢語閑話――ビジネス中国語エッセイ(1)
 中国語の“接受”という言葉

 

 

   藤本 恒(京都文教大学講師)

 

 

 

 

 

 日中間の言葉上の理解の差を身をもって感じた出来事が、過去の私の日中ビジネス生活の上で何回かある。自分の経験したことであるだけに今でもその時の情景を目の前に彷彿と思い浮かべることができる

 まず一つ目は、1963年の夏の出来事である。もう40年以上も前の事である。年齢こそ30歳を越してはいたが、商社マンとしては、まだ新参者であった私は、自社が扱っていたレーヨン・ステープル・ファイバー(スフ綿)対中訪中商談グループ日本側11社の一員として北京商談に参加した。日本側スフ綿生産メーカーの一次問屋がこの商談に参加したのだが、私に中国語が出来ると言うことで、下位商社でもあり新参者でもあったのだが、日本側商社連合の代表通訳になった。中国側は当時の日本通と言われていた、中国紡織品進出口総公司の車光烈氏が担当した。ご承知の通り、当時この商品は友好貿易取引品目であり、日本側はそれぞれ個別の「友好商社」が扱った。そして相手は中華人民共和国の繊維貿易を一手に取り仕切る国営企業、中国紡織品進出口総公司であり、中国対外貿易部(当時の正式名称・現在の商務部)の出先機関でもあった。商談相手の責任者の肩書きは処長であり、外貿部の出向者であった。相当に緊張しながら商談に望んだのだが、日本の独占資本主義者の中国に対する高価売り込み政策方針があるとか、商談を阻害する政治要因があるとかの対日批判があったりで、何回かの面談の中で気分は常に緊張を強いられていた。

 通訳は、日本側発言を私が中国語に訳し、中国側の発言は中国紡織品進出口総公司の車光烈氏が日本語に訳した。恐らく、私の中国語の説明は相手方になかなか分かりつらかっただろうと想像するが、車光烈氏の日本語も相当なもので、なかなか日本人には難解であった。相手がやったように、私も小声で日本側の主発言者に補足説明をしていたら、中国側の商談責任者が、突然「日本側の友好商社の皆さんが、ここ北京まで来て、中日貿易取引の発展と中日友好の拡大の為に、努力して下さっているのだから、我々中国紡織品進出口総公司としても、感謝の気持ちを表明する必要があると考える。感謝の気持ちは具体化して態度で示すべきものであるとの毛沢東主席の教えもある。我々は、このスフ綿の日本側オファーを受け取ることでその誠意を示そうと考える」と重々しく発言した。一瞬、日本側は何のことか分からずきょとんとしたが、そこは、抜け目のない日本側商社マンのこと、「では日本側のオファーを受けとって、ご検討願えるのですな、商談は継続ですな、次は何時アポイントを取ればよいのでしょうか」と尋ねる。まだ、商談に慣れていなかった私は、中国側の元の発言が“为了表示我们的诚意,接受你们的报价。”であったので、少々妙だなと思ったのだが、雰囲気が口を挟ませなかった。ところが、中国側の次の発言が「皆さんは、大層苦労なさったのだから、二三日は北京市内・郊外の名所・旧跡を遊覧されて帰国なさったらよいでしょう。案内させますから」であった。あっけにとられた日本側は互いに顔を見合わせる場面となったのだが、やっと私が、「中国側発言のオファーを受け取るというのは、「受諾する・アクセプトする」ということで、商談成立ですよ」と説明したので、日本側は大喜びで、一斉に立ち上がり、中国側の商談責任者に握手を求めるという騒ぎになった。確かに、“接受”は受け取るには違いないが、「受け入れる」意味合いの言葉であり、日本語で「受け取る」と訳されたのでは、緊張した雰囲気の中では、そこまで気が回らなかったのも無理はなかったのだが、車光烈氏の日本語に一憂一喜した場面であった。

 本件は現地で無事契約書にも、サインを済ませ全員意気揚々と帰国したのだが、想い出に残る2万6000トンという大口スフ綿商談のあっけない幕切れ風景であった。

原載:『日中経協ジャーナル』(財団法人日中経済協会)

 

 

 

 

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