「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦
/講談社選書メチエ
斎藤慶典
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出版社:講談社 |
出版年:2018年02月 |
コード: 288p ISBN/ISSN 9784062586719 |
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東洋哲学とは何か。「東洋」は地理的・地域的限定を意味しているのか。また「インド哲学研究」や「中国哲学研究」など個別研究のことを指しているのか。 井筒俊彦は個別研究の枠を超えて中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想を見据え、その根底にある哲学をつかみ、拓いていく。「ある」という事態の最深層に仏教哲学の「アラヤ識」を見届け、「空」と「無」を巡ってイスラーム哲学から現代思想までもが渉猟される。言語哲学者、イスラーム哲学研究の権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を備えた新たな哲学」は、どんな地点に到達したのか。その哲学的営為の総体を受け止め、さらに先にある問題を見極める。
目次: はじめに 凡例
序章 井筒「東洋」哲学 「東洋」哲学 井筒「東洋」哲学は何を目指しているのか 第1章 表層 深層 a)表層から深層へ コトバ 深層における分節化 分節化されたものから分節以前のものへ 事事無礙 b)深層から表層へ 理理無礙 分節(1)―「無」―分節(2) 挙体性起 存在の階層性 基付け関係 有力・無力 c)大地と理性――ロシア的人間 ロシアの一九世紀 原始的自然 『コサック』 ドストエフスキー 第2章 空 無 a)「空」の徹底 理理無礙 神の彼方 〈無分節な「ある」〉への反転 「存在」の破れ b)空と無 『大乗起信論』におけるアラヤ識 ユダヤ教カッバーラー バスターミーの「欺瞞」論 思考の無能力 c)砂漠と死――ジャック・デリダ ユダヤとギリシアの狭間で 砂漠における彷徨 墓場、あるいは死 第3章 〈いま・ここで=現に〉 a)「本質(マーヒーヤ)と「存在(フウィーヤ)」 「存在は本質の偶有である」 有「本質」か、無「本質」か フウィーヤ・マーヒーヤ・タビーア 有「本質」論の三つの型 イスラーム「原子論」 無「本質」的存在分節 元型とイマージュ 意識と存在の構造モデル 「概念実在論」 b)〈いま・ここで=現に〉 「存在」の「独一性」 創造不断 吾有時 「純粋な可能性」としての「無」 証言 c)「入てん垂手」 聖諦と俗諦 俗、あるいは町という共同体 「無」の共同体
註 『井筒俊彦全集』一覧 あとがき
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