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■真意を伝えるために
それにしても、島田洋七の『佐賀のがばいばあちゃん』といい、たかぎなおこのイラストエッセイシリーズといい、日本発の本が上海で売れている。今月はさらに、渡辺淳一の『鈍感力』もベストテン入りしていて、書店によってはかなり高位置をマークしている。日本発の翻訳本が評判になっているのは、喜ばしいこと。と、思っていたら、もうひとつ嬉しい話を聞いた。
24日まで上海では、国際映画祭が開かれていた。10回目となる今年は、日中国交正常化35周年を記念した活動のひとつとして「日本映画週間」も同時開催された。 『人民中国』の王衆一編集長も上海入りしていたので、北京行きの飛行機に乗る直前に虹橋空港で会った。
早速頂いたのは、彼が翻訳した四方田犬彦著『日本電影100年』(三聯書店)。『日本映画史100年』(集英社新書)を訳したもので、2006年6月の出版。昨年秋に会った時には、初版が2ヶ月ほどでほぼ完売で「渡せなくてすみません」と、大きな体を縮めるように言っていた。初版は5000部。かなりのスピードで捌けたのだが、重版がなかなかかからなかった。それがようやくのこと、今年4月2刷りに。再版は3000部。この手の翻訳本にしては、好調と言えるだろう。北京電影学院では日本映画史の講義のテキストにもなっている。
丹念な翻訳をしていることはまず、映画タイトルの表記を見ても分かる。例えば、吉永小百合主演の「キューポラのある街」が「有化鉄炉的街」とされ、さらに日本語の音読表記が「KYUPORA NO ARU MACHI」となることもあわせて記されている。これは登場する全ての作品に対して、だ。監督や女優の名前も同様である。だから、日活ロマンポルノなどの扇情的なタイトルもくまなくローマ字になっている。
「日本語の音読表記がローマ字で記された本は中国には今までなかったでしょう」と、王さん。
彼の日本映画への造詣と愛情の深さは、私も含めて一般の日本人を上回るほど。細部にまで目の行き届いた翻訳をしている。中国人に誤解や曲解をされかねない微妙な部分については真意が伝わるようにと、著者との話し合いを経て意訳も行ったという。
真意を伝えるために翻訳作業には時間をかけたのは、「最近の映画評論は、無批判な御用評論的なものか、人格的な攻撃を展開する偏ったものになる傾向がある。それは中国でも、日本でも同様ではないか。責任を持って知的な社会批判できているものが少ないなかで、著者の存在は日本にとっても、そして中国にとっても大切なこと」(王さん)だから。
高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』が1987年に中国で大ヒット。日本映画が熱愛された時代があったと懐かしむように言われたものだが、今ふたたび日本映画、そして日本ドラマを愛する若者世代が台頭している。韓流の勢いに一時押されてはいたけれど、日本のドラマは海賊版DVDだけでなく、ネット上では一週間遅れ程度のタイムラグでも見ることができる。その"視聴"を可能にしているのは、翻訳ボランティアの存在だ。日本ドラマのオタク的若者が競って、無償で翻訳を行っている。
海賊版は到底認められるものではないにしても、海賊版の存在が日本映画・テレビファンを生み出したことは事実。日本映画の中国での正式上映が数少ないにもかかわらず、本書が好評なのも海賊版の"功"だろう。ネット上で展開される読後感を拾っていくと、ホワイトカラー層のなかでも女性読者が多い。知的な欲求を満たすと同時に、ファッション的にもクールでオシャレなものとしてもとらえられているようだ。
日本映画の正式上映には政治的な要素もからんでおり、早急に上映が増えることはないだろう。だからこそ今回の日本映画週間は意味が大きかった。上映されたのは、「武士の一分」「眉山」「東京タワー」など13作品。しかし意味が大きかっただけに、中国語タイトルの表記は残念だった。
「『武士の一分』は単に『武士的一分』と中国語に並べかえただけでは、武士の一分間かと誤解される。例えば、『武士的底限』といったふうにしてもいいでしょう。『大奥』もそのままでは分かりにくいから『深皇』と中国人が分かりやすいものにするべきだし、『アンフェア』も『不公平』ではなく意訳して『天下無道』といったふうにできるはずです」と、去り際まで王さんは批評を続けていた。これも日本映画や文化への愛情のなせるわざ。翻訳という仕事の重みと深さを感じる再会だった。
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