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中国映画のコラム 第11回 .

 中国映画に見る母親像
水野 衛子

   
   

『山河ノスタルジア』(2015) 中国映画で描かれる母親像は圧倒的に父親像より多い気がする。それは中国人の男性のほとんどが母親に特別な感情があり、中国の監督のほとんどが男性だからだ。日本では「マザコン」とマイナス評価されるが、中国にはマザコンという言葉が存在しないように(「恋母親結」という表現はあるが、中国人の口から否定的にこの言葉を聞いたことはない)、男が母親を愛し大切に思い、母を恋い慕うことは中国では好感を以って受け止められる。そのせいか、映画の中での母親像も母親と息子の関係で描かれることが多い。
  

     

  『山河ノスタルジア』(2015)は個人的には『一瞬の夢』(1997)以来、久しぶりに心を打たれたジャ・ジャンクー作品である。監督夫人である趙涛(チャオ・タオ)を魅力的な女優だと思ったことは一度もないが、今回の作品での2番目のエピソードでは非常にリアルな中国の母を演じていた。もともと価値観の違う夫と離婚した彼女は息子の養育権をあっさりと手放し、息子は上海のインターナショナル・スクールに通っている。中国でも両親が離婚した場合、幼い子どもの養育権は母親に認められるのが普通だ。にもかかわらず、彼女があえて父親に委ねたのは山西省の汾陽という田舎町にいるよりも上海で暮らすほうが子どもの将来のためだと自分を納得させたからだろう。しかし、前夫とその再婚相手がオーストラリアへの移民を考えていると知ると、思わず電話で前夫をなじる。息子がさらに自分の手の届かない遠い所に行ってしまうと感じたからだ。それでも息子を引き取るとは言い出さない、切ない母親である。離婚した夫が同じ生活レベルであれば絶対に息子を手放さなかっただろう。だが、移民したことが息子にとって本当に幸せであったかは3番目のエピソードで明らかになる。肉親の情を特に大切にする中国人が、恵まれた生活条件をその上に置く昨今の価値観に疑問を突き付けた作品であった。
『唐山大地震』(2010)  5年前の台湾の金馬奨主演女優賞は同じく母親役を演じた2人の中国人女優の対決となった。『唐山大地震』(2010)の徐帆(シュイ・ファン)『玩酷青春』(2010・日本未公開)の呂麗萍(リュイ・リーピン)だ。前者は大地震で夫を亡くした直後に生き埋めになった双子の娘と息子のどちらかを助けるために片方を犠牲にしろと迫られる。手のかからない賢い娘ではなく、少し愚鈍な息子を助けてという身を切られるような思いの末の決断は夫が死んでいるだけに非常にリアルな選択だ。70年代の中国では、いや、今でもそうかもしれないが、夫の家を継ぐのは男の子だからである。そして、嫁が女手一つで大事な孫を育てるのは大変だろうと夫の母親と姉が息子を引き取りに来ると、母親はまた自分の思いを封印して義母に息子を託そうとする。『山河ノスタルジア』の母親と同じ価値観である。一方の現代の北京の母親である『玩酷青春』の呂麗萍はホテルの清掃員の仕事をリストラされながらも、別れた夫が息子を自分の扶養家族にしたいと言ってくるのを頑なに拒む。前夫が母子家庭の経済状態を心配したからではなく、自分が父親の財産分与を受けるには扶養家族が多いほうが得だからという損得勘定だったからだ。パルクールという競技に夢中で大学受験勉強に身の入らない高校3年生の息子にパルクールもやめさせ、ガールフレンドとの仲も引き裂き、自分が末期癌だとウソをついてまで大学受験勉強にまい進させようとするところなど、私などは趙涛や徐帆の母親像よりもずっと共感してしまった。年老いた口うるさく腹立たしい自分の母親と母親の心を理解しようともしない不出来な息子を抱えて孤軍奮闘する母親の姿は世界中の母親たちの共感を呼ぶのではないだろうか。その証拠に、金馬奨主演女優賞を勝ち取ったのは呂麗萍が演じた現代的な母親像のほうだった。
  母を愛するあまり、母を訴える息子もいる。20年以上前に東京国際映画祭でグランプリを受賞した『息子の告発』(1994)は、斯琴高娃(スーチンカオワー)演じる母親が長年の不倫関係にあった男と謀って父親を殺し、その男と再婚したのではないかと疑う息子が描かれる心理サスペンスだ。息子はやがて実の母親を父親殺しで訴える。これも屈折した形の母への愛情表現で、愛するゆえに母親の裏切りを許せない息子の愛憎心理を描いて中国の濃厚な母と息子の関係を浮き彫りにした作品だった。(監督は香港人の厳浩(イム・ホー)だが、脚本は中国人である)斯琴高娃は『太陽の少年』でも出番は少ないが強烈な母親を演じていた。きかんぼうの息子を思いきり殴り、罵る気丈な母もまた中国の母親像の一つの典型らしい。実際、あの母親は監督姜文(チアン・ウェン)の母親そのままだと聞いた。
『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)  『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)の冒頭シーンも忘れがたい。娼婦の母親が遊郭ではもう育てられないからと、父親も分からぬ幼い程蝶衣を京劇の師匠のところに預けに来る。指が六本あるから役者にはなれないと言われて、凍えた息子の指にナタをふりおろす凄惨なシーンは忘れがたい。自分では育てられなくなった息子が飢えずに食べて行けるようにするための母の情を蒋雯麗(ジアン・ウェンリー)が見事に演じて、少ない出番ながら強烈な印象を残した。成長した蝶衣が鞏俐(コン・リー)演じる娼婦の菊仙をあそこまで敵対視するのはそれこそネガティブなマザコン感情以外の何者でもない。その証拠に阿片で意識朦朧となると母親に甘えるように菊仙に甘えるのだ。
  生さぬ仲の母親であっても実の母親以上の愛を注ぐ母親もいる。モンゴル族の寧才(ニンツァイ)が監督し、妻の娜仁花(ナーレンホア)が演じた『額吉(アージー)』(2010)だ。額吉はモンゴル語でそのものずばり母という意味。私も知らなかったが、文革の時期、親が労働改造所送りになった上海の約3000人の孤児が内モンゴルに送られ、モンゴル族に育てられたという史実をもとにしているそうだ。文革が終わり上海に戻ってきた親たちは内モンゴルに子どもたちを捜しに来る。上海には行かないという息子にモンゴルの母は上海に戻るように諭す。離れがたい思いは息子と同じか、それ以上であるにも関わらず。寧才と娜仁花は夫婦で共演した『天上の草原』(2002)でも漢族の少年を引き取って、実の子以上に愛情を注いで育てる草原の親を演じていた。こうした作品を見る限り、情の濃さではモンゴル族は漢族のさらに上をいくと見える。
  同じく生さぬ仲の母親といえば、『最愛の子』(2014)で趙薇(ヴィッキー・チャオ)が演じた、誘拐犯の夫がどこからか連れて来た子どもに深い愛を注ぐ農村の母親がいる。映画では彼女は夫は親を失くした子だと言っていたと主張するのだが、夫が誘拐してきたと知っていたのではないかという疑問が最後まで残る。なぜなら、彼女は自分の子を産めなくなっているからだ。けれども、そんなことはどうでもよくなるほど、血のつながらない子に必死で愛を注ぐ母親が切ない。たとえその愛が代償行為だとしても。うちの猫も自分が産んだ子猫が死んですぐに私が拾ってきた捨て子の子猫をそれはもう慈しんで育てたもので、母性は結局は動物的本能なのかもしれない。もちろん、幼子を誘拐された両親の悲しみと苦しみも描かれる。特に、別れた夫が目を放した隙に息子を誘拐された郝蕾(ハオ・レイ)演じる母親の苦しみは身につまされる。物心つくかつかないかの年で誘拐された我が子は3年後に再会すると実の母親が分からず、誘拐共犯かもしれない育ての親の趙薇のほうを母と慕う。これは実につらい。でも、同じく誘拐されていた女の子と息子の絆を目の当たりにして、その女の子も引き取ろうとするシングル・マザーの郝蕾の姿は他作品にも通じる芯の強い中国の母親像の典型で、すがすがしい。
  母親と娘の関係は息子とは違い、時に同志となり時にライバルとなる。呂麗萍は『上海家族』(2002)でもリアルな現代の母を演じている。夫の浮気が許せず離婚したものの、上海の弄堂の手狭な実家で弟夫婦と暮らす母親からは露骨に邪魔物扱いされ、高校生の娘に独立した空間を与えたいと、家があるというだけで好きでも何でもない男と再婚する。この男がまた典型的上海男で吝嗇で(実際の呂麗萍の夫である孫海英が演じているのが笑える)、娘のシャワーにまで水道代がかかると文句を言うのに耐えきれなくなり、また離婚する。若い浮気相手と別れ、マンションを売ってまで慰謝料を払いたくない娘の父親から再縁話を持ちかけられると、娘のことを思って自分の意に反して承知しようとする。すると、いつの間にか精神的に成長していた娘が言う。慰謝料をもらい、自分たちで小さな部屋を借りて住もう、と。母は初めて自分の幸せが娘の幸せだったのだと気づく。
『サンザシの樹の下で』(2010)  陳冲(ジョアン・チェン)『ジャスミンの花開く』(2004)で演じた章子怡(チャン・ツィイー)との二世代にわたる母と娘の確執は壮絶だった。映画女優を夢見て破れ、妊娠して家に戻ってきた娘に自分の男を寝取られると黄浦江に身を投げて死んでしまう母親。その娘が母親になると今度は娘の恋人を自分が若い頃に憧れた男優と錯覚して、甘える。神経衰弱になった娘は母親が自分の寝室をのぞき見しているという妄想にとりつかれ、さらには夫が養女に手を出したのではと疑うほど精神錯乱する。男が介在すると母娘の関係はこうまでおどおどろしくなるものか。これは極端だとしても、同性だからこその競争心、微妙な張り合いは免れないものなのかも知れない。この作品では夫の母親が嫁につらくあたるシーンも描かれ、上海の昔からのプチブル家庭とおそらく新中国になってから上海に入って来た労働者階級の家庭の価値観の衝突もあわさり、奚美娟(シー・メイチュアン)がそんな姑役を好演している。奚美娟は『サンザシの樹の下で』(2010)でも娘の男女交際に頑なに反対する母親を演じて説得力があった。妊娠した娘の同級生が堕胎したのを知って怒り狂う母を演じたのはこれも呂麗萍である。こうして見ると、中国映画の多彩な母親像はつまり実力派女優たちの存在の証しだとも言える。

(みずの・えいこ 中国語通訳・字幕翻訳家)

   
 
   
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