■『秘密の花園』よりストレス解消
レースのように繊細な透かし模様から、美しい花柄のデザインを施したうさぎ、ベルや車輪といったパーツをカットし組み合わせて完成させる立体馬車まで……。
中国のネット掲示板で『此刻花開』のファンの集いをのぞくと、この本のデザインページを使った自作アートの完成写真を次々と見ることができる。制作のカット割り写真や失敗作なども公開されていて、眺めているだけでもその楽しさが伝わってくる。
「この本を買わなければできないね。本が欲しい!」「(カッターナイフで)手はボロボロ……。だけど楽しい!」「完成作を待っています」など自由なコメントのやりとりを見ても、熱狂的な切り絵ファンが一定程度いることがわかるのだ。
そんな巷で話題の『此刻花開』は、中国伝統の剪紙アートと西洋絵画を融合させたという新しい切り絵ブック。
「世界的に流行しているペーパーカッティングアート。『ひみつの花園』よりもストレス解消できる、新しい趣味の世界」というコピーが踊る。さらに「国内で初めて、幅広い年齢層に受け入れられる」作品集であり、「読者はナイフを持ちさえすれば、誰でも切り絵アーティストになれる」というのが売りだ。
本書には、美しい切り絵の完成作がカラー写真で紹介されているほか、各種の線画デザインページがあり、読者はそのページを使って線画の通りにカッティングすれば、誰でも簡単に見事な切り絵アートを完成させることができる、というわけだ。
第1巻、2巻とも、カッターナイフとカッターマットを付録にしている。そんな細やかな気配りと便利さも、読者の購買欲をより刺激しているのだろう。
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■魯迅も刻んだ「早」の文字
では、なぜ今の中国で、切り絵が注目されているのか?
「切り絵は、神秘的なパワーを持っている」からだと分析するのは、中国の出版情報サイト「中国出版伝媒網」に一文を寄せたペンネーム「果子」さんだ。
それによると、太古の昔から人類の祖先は、石器や洞窟に「刻む」ことで様々な情報を記録したり、コミュニケーションを図ったりしてきた。現代ではアートの世界を除いて、モノに何かを刻むという行為はすたれたが、「刻むことで生まれる興奮は、私たちの指先に残っている」と果子さんは指摘する。
例えば、かの文豪・魯迅には、少年時代に遅刻して叱られ、自分を戒めるため机に「早」という文字を刻んだというエピソードがある(浙江省紹興市にある魯迅が学んだ私塾「三味書屋」の跡には、今もその文字が残されている)。そのため現在でも中国の多くの学校で、机に「早」と彫られた文字を見つけることができるという。
また、中国各地の観光地に行けば、恋人たちの名前や「到此一游」(ここに参上)といったイタズラ彫りがよく目につく。
このように今では多くの場合タブーとなってしまったが、モノに何かを「刻む」ことには、人の原始的本能をかきたてる不思議な魅力があるのだという。
そうした折に出現したのが、より身近になった切り絵アートの世界である。
「私たちはついに原始的な欲望を呼びさますチャンスをつかんだ。ついに理性的に彫刻刀を握ることができ、公共財を傷つけずに、美を創造することができる。しかも大人になった今から学んでも遅すぎることはないのです」(果子さん)
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■癒しの効果とSNSに投稿する快感
『此刻花開』の魅力について、果子さんはこう分析する。
「それは読者に多くの可能性を示してみせた」として、その1つは「創作する楽しさがあること」、2つめは「ストレス解消になること」、3つめは「タブーを破る快感があること」だという。
「静かで、ゆったりした想像の世界にどっぷり浸かり、外の喧騒から離れ、心を空っぽにして、切り絵の世界に没頭することができるのです」(果子さん)
ネット上では「減圧利器」(ストレス解消の利器)とも称賛されている本書。
逆に言えば、急速な社会の変化に伴い、それだけ跳ね除けたい個々へのストレスやプレッシャーも大きくなっているのだろう。
さらに果子さんは4つめとして「SNSコミュニティーで多くの称賛を受けること」を挙げ、それは「想定外の付加価値」だったと強調する。
「不器用だから私にはムリ!と残念に思っていた人でも、『意外とやるわね』と自己認識を改めたり、周りからの評価を良くしたりすることができる」。自己肯定感や満足感がアップするということだろう。
ちなみに近年、発表された「幸福感や満足感が高いほうが長寿である」というイギリスの研究結果が世界で注目されているが、それが確実なら、この切り絵アートも“長寿”に一役買うことができそうだ。
最後の5つめに「最大のメリット」として果子さんが挙げたのが「共同で取り組めること」だ。ある家族は、幼い娘がシンプルな部分を、母親が複雑な部分を、最後に父親が全体を完成させた写真をSNSに投稿したという。
「それは家族が一つになった楽しい出来事。共通の思い出として深く脳裏に刻まれるでしょう」
果子さんの言う通り、切り絵ブック一つとっても、奥深い魅力がある。
とりわけそこに癒しの効果と、人気のSNSに投稿する快感があることが、現代中国人のツボにすっぽりハマったのではないだろうか。
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■続々と刊行される切り絵ブック
中国には、古くは5~6世紀の南北朝時代から盛んになり、2009年には世界無形文化遺産に登録された伝統的な「剪紙」の文化があるが、最近の切り絵ブームは、それとも一線を画している。
春節(旧正月)や婚礼などのお祝いに、室内などを美しく飾る剪紙の色はおめでたい「赤」が主流だが、最近の切り絵に使われるのは多彩な色だ。デザインも伝統的な「花鳥風月」とはやや異なり、より今どきのスタイリッシュなイラストが多い。写真立てや額に入れれば、そのままおしゃれな装飾アートになるというのも、切り絵ファンに気に入られている。
そして今、切り絵はやはりブームなのか? 『此刻花開』の登場と、ほぼ時を同じくして切り絵ブックが続々と刊行されている。
例えば、デザインに世界の名所などを集めた『療癒静心:紙雕的華麗世界』(呉静宜 著、九州出版社、2016年)、中国の伝統書画タッチの『紙間奇遇:一本探索奇境的手工紙雕書』(以楽 著、花城出版社、2017年)、若者に人気のアニメキャラクター風デザインによる『雕刻時光』(慕容炒肉 著、長江出版社、2017年)、ペーパーデコレーション(立体的切り絵)の日本の書籍の翻訳版『四季花朵立体剪紙』(やまもとえみこ 著『野の花の立体切り紙』、河南科学技术出版社、2017年)など。
この1、2年の切り絵ブックのにぎわいは、それだけ市場ニーズを反映しているということだろう。
こうした動きに対しては、ネット上で「どうせ一過性のブームだろう」とか、興味のない人からは「紙を刻むだけなんて単調でつまらない」といった批判的な声もある。
しかし趣味嗜好というのは、全く個人的なものだ。新しい切り絵が、塗り絵に続く趣味として中国人の間に広まりつつあるのは事実。それだけ人の好みや価値観が多様化しているということだろう。
それは根強いブームになるか? 中国社会や人々のトレンドを占う意味でも、切り絵ブックをこれからも見つめていきたい。
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