■「オスカー界のレオナルド・ディカプリオ」
中国の英字新聞『チャイナデイリー』(中国語:中国日報)の電子版は、村上氏がなぜ何度もノーベル賞候補と目されながら受賞を逃すのかについて、「オスカー界のレオナルド・ディカプリオ、グラミー界のケイティ・ペリーと肩を並べる、最も悲痛な“選手”だろうか?」などと表現。
アメリカの映画賞「アカデミー賞」や音楽賞「グラミー賞」に何度もノミネートされながら受賞できない有名人を引き合いに出して、その世界的注目度の高さを示した。
さらに、ノーベル賞は選考課程が50年間極秘にされるため「憶測でしかないが」と断った上で、次のように分析する。
「憶測1:作品が通俗的すぎて、社会批判に欠ける?」
――あるネットユーザーは「村上春樹氏(の作品)は大衆化しすぎていて、漫画を読むみたいだ」と評価する。
一部の学者やメディアによれば、ノーベル文学賞はヒューマニティーや創造性、詩情、ドラマ性を重視し、ベストセラーや通俗性は軽視している。選考委員(スウェーデン・アカデミーの会員)は、社会の不平等や独裁、人権などの現実問題を明るみに出し、弱者に寄りそうテーマをより支持している。
こうした点で、村上氏(の作品)はやはり曖昧だといわざるをえない。文学界のある人物は「彼の作品は通俗化、流行化、プチブル化しすぎている。『(そこに)政治性を通した批判はない』と選考委員に認められているのだ」という――。
「憶測2:ノーベル賞も年功序列?」
――ある分析によれば、ノーベル文学賞は近年、年配の作家のほうが有利なようだ。50代の受賞者もいるが、70代が主流であり、2007年には当時88歳だったイギリスの女性作家、ドリス・レッシングが受賞した――。
【近年のノーベル文学賞受賞者】 (※ 筆者まとめ)
◆2007年 ドリス・レッシング(イギリス、1919-2013)、受賞当時88歳
南アフリカのアパルトヘイト(人種差別)を非難したほか反核運動で有名に。
授賞理由は「懐疑的視点と情熱、深い洞察力をもって分断された文明を厳しく見つめた」。
◆2008年 ジャン=マリー・G・ル・クレジオ(フランス、1940-)、当時68歳
現代フランスを代表する作家。授賞理由は「圧倒的な文明化の波が押し寄せる中で、新たな旅立ち、詩的な冒険、官能的な歓喜、人間的な探究を描いた」。
◆2009年 ヘルタ・ミュラー(ルーマニア、1953-)、当時56歳
チャウシェスク体制下で弾圧された人々を小説に描き、政権を批判。のち西ドイツへ移住。
授賞理由は「故郷喪失の風景を濃縮した詩的言語と事実に即した散文で描いた」。
◆2010年 マリオ・バルガス=リョサ(ペルー、1936-)、当時74歳
現代ラテンアメリカ文学を代表する作家。
授賞理由は「権力の構造と個人の抵抗や反抗、その敗北を鮮烈なイメージで描いた」。
◆2011年 トーマス・トランストロンメル(スウェーデン、1931-2015)、当時80歳
スウェーデンの国民的詩人、心理学者。授賞理由は「凝縮された透明感のある描写を通して、現実に対する新たな道程を示してくれた」。
◆2012年 莫言(中国、1955-)、当時57歳
現代中国を代表する作家。中国国籍の作家としては初の文学賞受賞作家に。
授賞理由は「幻想的なリアリズムをもって、民話と歴史、現代をつむぎ合わせた」。
◆2013年 アリス・マンロー(カナダ、1931-)、当時82歳
国際ブッカー賞など多くの賞を受賞。授賞理由は「現代短編小説の名手」であるとして。
◆2014年 パトリック・モディアノ(フランス、1945-)、当時69歳
フランスを代表する人気作家。授賞理由は「記憶を扱う芸術的手法によって、最もつかみがたい種類の人間の運命について思い起こさせ、占領下の生活、世界観を掘り起こした」。
◆2015年 スベトラーナ・アレクシエービッチ(ベラルーシ、1948-)、当時67歳
ベラルーシのジャーナリスト、作家。授賞理由は、原発などの問題を膨大なインタビューで描き出す作風が「現代の苦痛と、それを乗り越える勇気の記念碑のような、多様な声を集めた」
『チャイナデイリー』は、「現在66歳の村上氏は長年(候補として)伴走しているが、たくさんいる高齢の先輩たちに比べ、その年齢はさほど“悲情”ではない」と分析。まだ受賞していない世界の年配作家と比べると、今後の受賞に期待がもてると行間ににじませている。
「憶測3:西洋化しすぎて日本を代表しない?」
――ある人はこういう。「ノーベル賞に必要なのは“民族”の文学、すなわち人生の意義に対する問いかけを異国情緒豊かに表現することだが、彼の作品には英米文学の味わいが強い。ユーモアや流動感、多元性があり、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎らが描く伝統的日本文学の“充実感”とは異なる。そのため多くの日本の読者は『文学的芸術性に欠けていて、日本を代表できない』とみなしている」――。
村上氏の作品は「西洋化しすぎていて日本を代表しない」という意見には異論のある人もいるだろうが、『チャイナデイリー』はそう、日本文学に詳しい人物のコメントを紹介している。
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